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The Earthling アドベンチャー・ロード

オーストラリア・アメリカ映画 (1980)

この映画ほど “脚本に不備のある” 映画は観たことがない。なぜか一般的な観客の評価は高いが、それは、適当に流して観ているからであろう。ニューヨークタイムズの1981年の評は、「『The Earthling』〔地球人と言う意味もある〕は、タイトルと同じくらい大げさで、最後は空っぽなオーストラリア映画だ」という批判で始まっている。RottenTomatoesに掲載された唯一の批評は、「オーストラリアの荒野のどこかを舞台にした気に滅入る病的映画は、ウィリアム・ホールデンのスターパワーにもかかわらず興行上の大失敗」と書かれ、C+の評価。私も、日本版VHSで最初観た時は、それほど悪い印象を持たなかったが、今回、詳細に翻訳していくと、日本語訳に誤魔化されていた真実が浮かび上がり、つまり、あきれるほど目茶目茶な脚本に開いた口が塞がらず、IMDbの私の評価を「1」に変更した。

映画の冒頭は、初老のパトリックが、自分の友達クリスチャンがいる集落を30-40年後に突然訪れたという設定。そして、その理由は、肺癌による死を間近にしたパトリックが、旧友のクリスチャンに一目会い、それから若い頃に飛び出した家に戻って死のうとしているのだと、観客は信じ込まされてしまう。それと同じ時、10歳のショーンと一緒にバカンスにやって来たキャピングカーが、両親を乗せて断崖から落下するという、ショッキングな事件が起き、ショーンは1人渓谷に取り残される。しかし、死が切羽詰まっているパトリックはショーンを集落に連れ帰る余裕などない。それにもかかわらず、❶パトリックは、3日にわたって、毎朝、木を打ち鳴らし、ショーンを起こし、ある意味、時間を無駄にする〔3日もあれば、集落まで連れて帰り、戻ることができた〕。でも、こんなのは、軽犯罪。❷普通に観ていて気付かないのは、罠を仕掛けて兎を捕った時の対応。罠は、兎の首を一気に絞め殺す方式なのに、真っ暗になってから罠を見に行かせたショーンに、「耳で聞いて来い」と言い、ショーンは「ウサギは音を立てない。だから、ウサギだった」と報告し、パトリックもそれを褒めるが、もともと、瞬間的に死ぬ罠なので、音がするハズがないので、このやり取りは無意味。これは、軽犯罪と重犯罪の中間。❸アボリジニが登場する時の2つの兎の罠は、片方がアボリジニの罠なのか、両方ともパトリックの罠なのか、ワザと説明を省いている。その結果、アボリジニが泥棒のように見え、パトリックがショーンを諭す言葉もそれを肯定しているのは、悪質な先住民への偏見であり重犯罪。❹その直後に、パトリックがショーンを残していなくなるシーンは、理由不明だし、ショーンがパトリックの跡を付けることができた理由の1つが「太陽を追った」からというもの。太陽は始終位置を変えるので、そのようなことはあり得ない〔パトリックは、北に向かえば人里に出られると教えた〕。普通に観ていては気付かない矛盾だが、程度のひどさは重犯罪。ついでに、ひどい日本語訳にも触れておこう。丘を登る場面で、パトリックが、杖兼槍について、ショーンが「あんたの槍 取に戻る?」と言ったことになっている日本語字幕は、実際には、「戻って、槍を取って来てきてあげたこと、嬉しくない〔Aren't you glad I went back and got your spear〕?」と言っている。槍はもう取得済みで、実際にパトリックはそれを持っている。もう1つ、パトリックは、「私の谷ではしないと誓ったことがある」という台詞。この方が分かりやすいが、実際には、「俺の谷の向こう側では、絶対にやらないと誓ったことがある〔Something I swore I'd never do on the other side in my valley〕」と言っている。この「向こう側」が何の意味なのか全く分からない〔ここでは、簡略化した日本語字幕が、逆に脚本の拙さを救っている〕。❺最悪の場面は、映画の最終場面に出てくるパトリックの両親の墓地。父親の墓碑は、没年が「196■」と読め、■は8のように見える。何れにせよ、このことは、映画の舞台の1980年の10数年前に、パトリックはここに来て、本人が言っているように、「2人を ここに埋めた」ことを意味する。すると、映画の冒頭の「30-40年後に突然訪れたという」と話は崩壊し、パトリックは、ひょっとしたら、集落には寄らず 渓流を遡って家まで来ていたのかもしれない。それも、定期的に。墓碑は一瞬映るだけなので、この最悪の犯罪には、誰も気付かない。そもそも、この墓碑は正しいのだろうか? 10数年で、パトリックの父が心を込めて造った家は、こんなに完全に壊れるものだろうか? どこか、間違っている。最後の軽犯罪は、日本語字幕の誤訳によって救われた脚本の拙さ。フォーリーを慰めるパトリックは、自分の愚かさを 「そのくせ愚かにも、明日が永遠に続くと錯覚していた」と説明する。納得できる内容だが、実際には、「俺はいつも、“今日は明日のリハーサルのようなものだ” と思っていた〔But I always made the mistake of thinking that today was some sort of a rehearsal for tomorrow〕」と言っている。この “今日は明日のリハーサルのようなものだ” という英語は、“今日を踏まえ、明日はより良く” というニュアンスで使われる成句で、このままだと、パトリックは愚かではなく、前向きな人間になってしまうような発言だ。日本語訳は、脚本のミスを打ち消すようにワザと誤訳したのだろうか? 映画のラスト。1人で出て行かされることに、「ぼく、怖いよ」というショーンに対するパトリックの台詞。「怖い? 怖いのは冷たい風だけだ。間抜け面してボサッと立ってれば凍え死ぬからな」。これを聞いたショーンは、パトリックに抱き着き、「大好きだよ」と言う。先のパトリックの台詞に、「大好きだよ」と言わせるような “真の愛” があるのだろうか? あまりに出来の悪い脚本に最後のブーイング。なお、翻訳に当っては、台詞通りの英語字幕と、その直訳でないオランダ語字幕を併用した 。

私が、酷評しているのに この映画を取り上げたのは、ひとえに、リッキー・シュローダー(Ricky Schroder)の、知られざる代表作だから。リッキーは、1970年4月13日生まれ。映画の撮影は1979 年 9 月3日から 10 月までなので、撮影時9歳半。彼の代表作『The Champ(チャンプ)』(1979)に続いての出演だ。リッキーは、ヤング・アーティスト賞に7回ノミネートされているが、そのうち、映画は『チャンプ』、『The Last Flight of Noah's Ark(ノアの方舟の最後のフライト)』、本作、『Little Lord Fauntleroy(リトル・プリンス)』の4回(他はTV)で、うち受賞できたのは本作のみ。ただし、『チャンプ』では、もっと格の高いゴールデングローブ賞の新人男優賞を受賞している。リッキーは、小公子役は似合わないが、本作のようなワイルドな役にはぴったりだ。9歳だけあって、顔の表現も多様で、リッキーのためだけに、出来の悪い本作を観る価値は十分にある。ついでながら、もう一人の主役ウィリアム・ホールデンにとっては、これが、日本で紹介された最後の作品。翌1981年にアル中での事故で他界した。わずか63歳。1つ前に紹介したクリント・イーストウッドが90歳を超えても映画に出演しているのとは大違いだ。

あらすじ

オーストラリアのどこかの国際空港に、ロサンゼルスからのDC-10が到着し、初老のパトリック・フォーリーが入国審査官から来訪目的を問われ、「通過する〔passing through〕」とだけ答える(1枚目の写真)〔旅行目的を言わずに、これで通してくれるのだろうか?〕。このやり取りから、パトリックはオーストラリアのパスポートを持っていないことが分かる。パトリックはオーストラリアの代表的な長距離バス「グレイハウンド」に乗って田舎に向かう。途中、窓からは、カンガルーの群れが走るのが見える。バスは、森の中で停まり〔どこで降りてもいい?〕、パトリックは何もない所で降りると、未舗装の脇道に入って行く。そして、題名が表示される。パトリックが田舎道を歩いていると、工事用のトラックが停まってくれ、パトリックは、「ありがとう」も言わずに乗り込む。トラックは、昔はきれいだったかもしれないが、今は、どの家もペンキが剥げ落ちたままになっている貧しい集落に入って行く(2枚目の写真、矢印)。トラックが食堂の前で停まると、トラックから降りた運転手に、ベランダに暇そうにしていた老女が 「一緒に来たのは誰だい?」と訊くが、運転手は 「ビールを飲むぞ」と店に入って行く。パトリックがドアを開けて降りると、滅多に誰も来ないような集落なので、店の中では、注目が集まる。1人の男が、「親爺はいつも彼のことを話していた。何でも、フォーリーは戦争の時、“commander”〔中佐を意味するが、21歳以下の徴集兵ではあり得ないので、翻訳不能〕だったそうだ」。「ああ。コロラドで牧場をやってたとも聞いたぞ」。「それは、もっと後だ」。「戦争後は、ペルーでクリスと道路建設だ」。その頃、パトリックは店に入らず、バルコニーを歩き、そこのイスに座っていた白髪の老人の脇に革鞄を置き(3枚目の写真、矢印)、老人の肩に手を置く。食堂の中では、まだ噂が続く。「その時、クリスの命を救ったそうだ。医者まで 50マイル〔80キロ〕背負って歩いたとか」。「何だと? クリスチャンをか?」。「そうだ」〔この後すぐに会うクリスチャンが、“30-40年後の再会” と言うので、「戦争」は第二次大戦。1980年で62歳なら、41年前の開戦時の1939年は21歳。入隊は、クリスチャンと一緒だったようなのでオーストラリア軍。戦争が終わり、1945年にパトリックは、一旦故郷に戻ったかもしれないし、そのまま国を離れたのかもしれない。いつの時点かで、ペルーに行きクリスチャンを救った。それが、遅くとも1950年。なぜなら、この年が「30-40年後」の最後の年だから(1950+30=1980)。その後、クリスチャンは帰国し、パトリックはアメリカに行き、コロラド州で牛を飼った。問題が2つ発生する。1945-50年の時点で、食堂の店主は、せいぜい少年。その時に見たのは27-32歳のパトリック。なのに62歳の老人を一瞬見ただけ、なぜパトリックだと分かったのか? あとで、パトリックは、両親を埋葬してから谷を出て、以来二度と戻って来なかったと分かる。ということは、彼が徴兵された21歳、もしくは、戦争が終わった時に帰宅していれば27-32歳以前に両親が死んだことになる。そんなに早く両親双方が亡くなるものだろうか?〕【これは、あくまでも、映画のこの時点でのコメント。後で推測が根底から崩壊する】
  
  
  

そこに到着したのが、真っ白なキャンピングカー。降りて来たのは、まだ若い夫婦と10歳のショーン。息子を森に触れさせるためのバカンス旅行だ。ショーンが、都市では見たことのない “小さな女の子がガソリンを入れる” 光景をびっくりして見ていると、両親はさっさと食堂に入って行ってしまう。そのうちに、ショーンは、バルコニーで眠っている老人の横に置いてある革鞄から顔を覗かせている不思議な模様に惹かれてじっと見つめる(2・3枚目の写真、矢印)。そして、近寄ると、手に取って見てみるが、老人が気付いたのと、店の中から母の呼ぶ声がしたので、急いで元に戻し、食堂に入って行く〔3枚目の写真のユニークな模様の袋は、その後何度も登場するので、非常に重要〕
  
  
  

一方、パトリックは、食堂から目と鼻の先にあるクリスチャンの家に向かう。それに気付いた彼の奥さんが飛び出してくるが、パトリックが急に苦しそうな顔をして、誰も見ていないことを確かめてから薬ビンを出し(1枚目の写真)、口に入れた後で左胸を押さえるのを見て、家に引っ込む〔パトリックは末期の肺癌〕。パトリックは、作業場を覗くがクリスチャンはおらず、結局いたのは鉄スクラップの解体場。久し振りにパトリックを見たクリスチャンは、固く握手した後で(2枚目の写真)、しっかりと抱き合う。クリスチャンが 「何日いる?」と訊くと、「いない」との返事。「それって、すぐにいなくなるってことか?」。「ああ」。「次は、いつ会える? 1ヶ月後か?」。パトリックは、質問ばかりで、話をきいてくれないことを詰(なじ)った後で、「ここには、二度と来ない」と言い、クリスチャンに衝撃を与える。それでも、クリスチャンは、何とか決心を変えさせようと試みるが、パトリックは 「来ない」とくり返す。その後で、クリスチャンは、「30-40年も経った」と、先に指摘した重要な言葉を発する。そして、パトリックの冷たい態度を非難し、それにパトリックも怒って反論する。そこに、割って入ったのがクリスチャンの妻、2人は若い頃に知り合ったので、パトリックの意思も尊重する。クリスチャンは、パトリックの健康が必ずしも良くないことを指摘し〔なぜ分かった?〕、「薬、持ってるか?」と訊き、パトリックが焚火に投げ捨てた薬ビンを急いで回収すると、それがモルヒネだと知り、「俺が、このまま何もせず放っておいて、お前を死なせると思うか?! 断じて、そんなことはさせん!!」と叫ぶが、妻に止められる。バルコニーに置いてきた革鞄を回収したパトリックは、そのまま歩いて少し離れた農場まで歩いて行き、ボビーという眼鏡をかけた老人に会う。こちらは、パトリックと会ってもさほど嬉しそうではなく、自分のことばかりダラダラと話す。パトリックはクリスチャンには何も持って行かなったのに、この男には、先ほどショーンが興味を見せた “不思議な模様” の布袋に入れた金属製の薄い箱を、プレゼントする。中身は30本の手製の毛ばり。きれいな袋について訊かれたパトリックは、「それを俺にくれたインディアンの話だと、悪霊を寄せ付けないとか」と答える。パトリックが離れると、ボビーは 「釣なんか 長いことやってないな」と呟く〔感謝の気持ちゼロ〕。このシーンの時、空は赤みがかって薄暗くなりかけている。ボビーの家で泊めてもらったパトリックは、翌朝 厩まで連れて行かれる。そして、ボビー自身は足が悪くて送っていけないので、途中の渓流までパトリックが歩かなくて済むよう、馬を貸してくれる(3枚目の写真)。ただし、25歳〔馬の平均寿命〕なので、着いたら、放せばちゃんと戻って来るとは言ったものの、実際には〔後で分かるが〕着くと寿命で死んでしまう。ボビーは、実に嫌な男だが、本性があからさまになるのは 次のシーン。
  
  
  

パトリックは、借りた馬に乗って渓流までは無事に到着し(1枚目の写真)、ここで約束通り馬を放す。一方、食堂から出て来たショーンの父が、パトリックを乗せてきたトラックの運転手に、「お早う」と声をかけるので、ここは食堂兼宿泊施設で、一家はここで一晩過ごしたことになる。実際、ショーンの着ている服も違っている〔このことが分かるまでは、てっきり、パトリックは着いた日に馬で出かけたに違いないと思っていた〕。ショーンは、バルコニーのイスに座っているボビーの方をじっと見ている。ボビーは、昨日パトリックから贈られた “毛ばりの入った薄い箱” を別の老人にプレゼントする。そして、ボビーの膝には、箱を出した時に置いた “きれいな袋” が乗っている。ショーンが見ているのは、その袋だ。ショーンに見られていることに気付いたボビーは、「これが気に入ったのか?」と、袋のことを訊く。「うん。それ、何?」。「これは、本物のアメリカ・インディアンの魔法の薬袋だぞ」。「まさか」。「本当さ。酋長 “赤い羽根” の息子が、直々(じきじき)にわしにくれたんだ」。「すごい」。「貸してやろうか? これを持ってると、悪霊を遠ざけてくれるぞ」。そうオーバーに言うと、折角パトリックが渡したアメリカ帰りのプレゼントを、平気で見知らぬショーンにくれてやる(2枚目の写真)〔何という不誠実な男だろう!〕〔パトリックがプレゼントした時に、袋の映像はないし、前日にパトトックが革鞄を別の老人の横に置いたシーンも一瞬なので、普通に観ていると、この男の悪辣さに気付かない可能性が高い〕。一方、パトリックは、この場所からだと、渓流を遡ると大回りになるので、ショートカットで丘を越えることにして、登り始める(3枚目の写真)。
  
  
  

ショーンの一家は、途中、渓流沿いの巨岩の上にキャンピングカーを乗り入れ〔父親の “危険をいとわない運転”を暗示〕、ピクニック気分で三人三様の行動を取っている(1枚目の写真)。ショーンは水中から亀を取り出して眺めると(2枚目の写真)、すぐ水に戻してやる。父は、対岸の巨岩の端まで行くと、いきなり渕に向かって飛び込み、大きな水しぶきが上がる。一部がショーンにもかかり、「冷たいよ」と文句が出る〔奥さんも夫を咎める〕。しかし、父は、「楽しむためじゃなかったら、何のために来たんだ?」と、妻に文句を言い、ショーンに向かっては、「来いよ。入って来い」と声をかける。「冷たすぎるよ」。「冷た過ぎるもんか。来るんだ!」。「凍えちゃう」。父は、ショーンに水を掛け(3枚目の写真)、それに耐えられなくなったショーンは、さっさと岸辺を離れ、キャンピングカーに逃げ込む。母は、「もっと優しくなさいよ。まだ10歳なのよ」と再度注意する〔撮影時のリッキー・シュローダーは9歳半〕
  
  
  

父は、キャンピングカーを運転して、普通車でも入っていかないような雑草の生えた林の中の未整備の道を突き進み、崖の手前で車を停める〔常識があれば、こんな近くまで車を寄せない〕。ショーンは、すぐにドアを開けると、崖っぷちまで行き、「わあ、すごい見晴らしだ!」と大喜び。母は、あまりに危険なので、ショーンの体を後ろから支え、それ以上崖に近づかないようにする(1枚目の写真)〔崖の角度は90°〕。「ここは、すごく危険なのよ。分からないの?」。大胆な父は、もっと崖に近づき、「もっと、リラックスしないと。石ぐらい投げたって構わん」と平気で言う。それに応えて、ショーンは持っていた石を崖に向かって投げる。父は、車を後退させて、空いた場所でキャンプをしようと言い、既に乗り込んでいる母に続いて、キャンピングカーに乗る。父は、エンジンをかけるが、この先の車の動きが分かり辛い。車は2メートルほどバックするが、その後はタイヤがスリップして進まなくなる。そのうち、なぜか、タイヤはバック回転していても、車は急速に前進を始める。そして、そのまま崖まで進み、さらに前輪が空中に飛び出し、次いで、そのまま傾いていき(2枚目の写真)、崖から転落し(3枚目の写真)、遥か下まで落下(4枚目の写真)、最後は、岩の上に落ち ぺちゃんこになって飛び散る(5枚目の写真)〔CGではなく、本当に落ちているので迫力が違う〕。その惨状を、丘の頂上に着いたパトリックが見ている。
  
  
  
  
  

ショーンは、崖の上から、真下の恐ろしい光景を見て、「マミー!!」と叫び、その声が深い谷間に響き渡る。しばらくすると、ショーンは何とか降り口を見つけて崖の下に向かう(1枚目の写真、矢印)。その間も、「マミー!!」や「ママ!!」と呼び続ける。谷の下は密林になっていて、上下逆さまになって圧し潰されたキャンピングカー〔窓が潰れて入れない〕は、木の下の斜面に埋まるように転がっている〔すぐ上の写真(前節の最後の写真)では、車は岩の上に落ちている。木の下ではない。なぜ木が一杯あるのか?!〕。ショーンは、「マミー、ぼくの声聞こえる?!」と叫び、車体を叩くが反応はない。それでも、ショーンは地面を蹴って窓を出そうとしたり、裏返しになった車体に登り、ジャンプしたり手で叩いたりして、連絡と取ろうとする(2枚目の写真)。ショーンの叫び声を耳にしたパトリックが何を考えているのかは分からないが、助けに行かないことだけは確か。何をやっても無駄なので、心が砕けてしまったショーンは、車体の横に茫然となって座り込む(3・4枚目の写真)。
  
  
  
  

ショーンの近くに落ちていた 破れた菓子袋に寄ってきたのはウォンバット、次いでハリモグラ。鳥もいる。クォッカまでは良かったが、喉の乾いたショーンが水辺に行こうと密林の中を歩いていると、黄色と黒の縞模様のレースオオトカゲ〔lace monitor〕が木の上にいる。そして、ショーンが水を飲み始めると、ヘビが泳いで近づいてくるので、慌てて顔を上げる(1枚目の写真、矢印)。そして、渓流の中にはオオトカゲ〔goanna〕もいる。ショーンは、水辺からなるべく離れて密林に戻ると、今度は、いろいろな蛇が木の上で蠢いている。喉の渇きが満たされなかったショーンは、岩肌を落ちてくる清水を口を開けて飲むが大した量にはならない。やっとの思いでキャンピングカーに戻ると、さっきまでショーンが横になっていた木の幹の上にオオトカゲが横たわっている(2枚目の写真)。それをじっと見ていたショーンの背後からは、大きな蛇が枝を伝って近づいて来るが、地面に近づいたところでオオトカゲに襲われて食べられる。しかし、このオオトカゲの素早い襲撃は ショーンのすぐ近くだったので、恐ろしくなったショーンは、物陰に逃げ込む。次第に夕闇が迫り、ショーンは岩の窪みの中に隠れて夜を過ごすことにするが、そのうちにネズミの集団が現われ、ショーンの服の上に何匹かが這い上がり、追い払おうとしてもなかなか離れない(3枚目の写真、矢印)。何とかネズミを払いのけると、ショーンは大急ぎでその場所から逃げ出す。そして、渓流を遡って上流に向かう。
  
  
  

翌朝、ショーンは、響き渡る奇妙な音で目が覚め、一夜を過ごした穴から外に出てくる(1枚目の写真)〔この音は、2日後の朝、パトリックが両手に持った何かを叩いて出していることが分かる。その時点では、ある程度、ショーンの存在を “可” と認めたパトリックが、ショーンを呼び寄せるためのものだった。しかし、この朝の時点で、パトリックはショーンに対し、何の関心も興味も心配も感じていない。だから、なぜ、パトリックがこんなことをしたのか、全く理解できないし、敢えて言うならば、脚本の無意味な “やらせ” としか思えない〕。ショーンは、渓流まで下りて来た時、初めて水辺にいる男〔パトリック〕を発見し(2枚目の写真、矢印)、倒木の後ろに隠れて様子を窺う(3枚目の写真)。
  
  
  

さっきから、さほど時間が経ったとは思えないし、ショーンが音を聞いてから渓流に来るまでに何時間もかかるとは思えないが、パトリックは渓流の脇の岩の上に横になり、眠っている。パトリックの横に食べ物があるのを見たショーンは(1枚目の写真)、パトリックに近づいて行き(2枚目の写真)、パン2枚とリンゴ1個を盗もうと手を伸ばす(3枚目の写真)。その瞬間、起き上がったパトリックは、いつも持ち歩いている長い棒(槍)でショーンのお尻を叩き、「音が大きい」と叱り、ショーンは逃げて行く。それを見ながら、パトリックは、「蝶に近づくことさえできん」と独り言〔ショーンを来させるために寝たふりをしたのなら、なぜ棒で叩いたのか? ショーンとは全く関係がないのなら、起きてすぐなぜ寝たのか? 分からないことが多過ぎる〕
  
  
  

両親の死を間近に見、正気の状態に戻っていないショーンは、お腹も空いているので、渓流の中を深い方に向かって歩きながら、「チョコチップクッキーとアイスクリームが欲しい。大好きなんだ」と、上の空で言う(1枚目の写真)。妄言はさらに続く。「暖かい服が欲しい。おもちゃはいっぱいあった。マミーは、ぼくとパパに何でも作ってくれた… ポットロースト〔蒸し焼きにしたローストビーフ〕、ベークドポテト、チョコレートケーキ。パパとぼくは、よくバスケの試合を見に行った。ラムズ〔ロサンゼルスのフットボール・チーム〕の試合にも行った。2人とも、どこに行っちゃったの? 寂しいよ。パパに会いたい。マミーに会いたい!」。この時には、首まで水に浸かっている。そして、両手を突き上げて、「マミー!!」と、何度も絶叫する(2枚目の写真)。その叫び声は、石だらけの渓流を下りてくる〔上流に行くのではなかったのか?〕パトリックの耳にも届く。パトリックは、「俺に何ができる? 連れ戻すことなどできん。時間がない。どうしようもない。教えることもできん。一緒に連れても行けん。どうすりゃいいんだ? あれだけ苦しんでる。もう正気じゃない」と悩む(3枚目の写真)。
  
  
  

ショーンが川原と岸の境に転がっている倒木を枕に眠っている。前のシーンと同じ日のように見えるが、ここでまた、響き渡る奇妙な音が聞こえてくる。ショーンは音のする方に歩いて行く。方向がつかめないまま、渓流の真ん中まで突き出た石の端まで行くと(1枚目の写真)、上流の方で、川原から煙が立ち上っているのが見える(2枚目の写真、矢印)。ショーンが石伝いに川を遡って行くと、昨日叩かれた男が、焚き火で、何かの動物の肉を焼いている。接近して行ったショーンは、単語が口に出てこないので、「あ…」としか言えない。パトリックは、「火にあたりたかったら、自分で木を取って来い」と命じる。パトリックが座っている丸太の端に既に集めてあった枝を ショーンが1つ持って、「え…」と差し出すと、「自分で集めろ!」と怒鳴られる。ショーンは、どこかに行くが、次のシーンでは、分けてもらった肉にかぶりついている(3枚目の写真)。それを見ながら、パトリックは、「半分死んでるな。2人合わせて やっと一人前だ」と独り言。
  
  
  

ここで、パトリックは、初めてまともにショーンに話しかける。「俺は見た。2人とも死んだ〔パトリックは、両親に直接会ってはいないが、ショーンが、ママとパパだけを連呼しているので〕。君は生きている」。この言葉にも、ショーンはまともに反応できない(1枚目の写真)。パトリックは、さらに、「いいだろう。坊主、何て名前だ?」と訊く。ショーンは黙っているので、パトリックが訊き直す(2枚目の写真)。ショーンは、キャンピングカーを助けてという意思表示で、腕を遠くに向けて伸ばす。パトリックは、ここで、2つの試みを行う。“先端が3つの方向に分かれた枝” を、コンパス替わりだと言ってショーンに見せ、朝、午後、夜に、どの枝を太陽、あるいは、南十字星に向ければ、中央の枝がを指すかを教え、常にに向かって進めと言うが(3枚目の写真)、そんな複雑なことが、心が抜けてしまったショーンに理解できるハズがない。そこで、目の前にある渓流をひたすら下り続けると、線路に出るから、それを左に進めばだ。数日で誰か見つけてくれる。ショーンは相変わらず全く興味を示さない。そのうち、夕日が山に沈み、寒くなったショーンは、横に置いてあったパトリックのコートを羽織って眠る〔ここで大切なことは、へ進めと言っていること。映画の後半では、これが、いつのまにか太陽に変わっている〕
  
  
  

しかし、翌朝、ショーンが寝ていると(1枚目の写真)、コートがなくなっている〔この映像は絶対におかしい。というのは、この倒木は、1日前にショーンが寝ていたのと、全く同じ場所、全く同じ構図だから(間違えて、同じシーンを使ってしまった?)〕。そして、響き渡る音で目が覚める。今度は、渓流の対岸にパトリックが立ち、ショーンの方を見ながら木片を両手に持って叩きつけ、独特の音を出している〔パトリックが、この音を出していたことが分かる瞬間。これが3度目だが、4度目はない〕。パトリックは、気付いたショーンに、「何て、名前だ?」と訊く。「やれば思い出せる。やってみるんだ」。ショーンは、パトリックに向かって、渾身の力で 「ぼくの名前は…」と5回以上叫ぶが(2枚目の写真)、どうしても名前が出て来ない。そのあとのシーンでは、パトリックはどんどん森の中に入って行き、ショーンは、「ぼくの名前…」と小声で言いながら、後をついて行く。そして、置いて行かれそうになると、ボビーからもらった “アメリカ・インディアンの魔法の薬袋” を見せる。パトリックは、ボビーにプレゼントした物をショーンが持っていること自体あり得ないことなので、「一体どこで、それを手に入れた?! それは、ある人にあげた…」と強い調子で詰問を始める。ショーンは、「赤い羽根。悪霊を遠ざけてくれる」と言う(3枚目の写真、矢印)。それを聞いたパトリックは、ボビーの非礼さに怒りを覚えつつ、「その通りだ。お前が持っていろ」と言う。そのあと、ショーンは、「あ、あの… ぼ、ぼ、ぼく、お腹空いた。何か食べ物ちょうだい。お願い。キャンピングカーが崖から落ちちゃって、食べ物は全部その中なの。ちょっとだけでも。お願い」と頼み続けるが、パトリックは完全に無視して先に進んで行く〔1980年当時は良かったかもしれないが、今日的な目で観ると、“何と冷酷な人間なのだろう” とか、“児童虐待に該当するのではないか” とも思ってしまう〕
  
  
  

そして、2人がかなり幅の広い渓流を渡るシーン。最初は、唯の川かと思っていたら、カメラはどんどんと下に動いて行き、2人の先には急流が、そして、さらにその先には、かなり大きな滝があることが映されて驚嘆する。その感じを味わってもらいたくて、ここでは、4枚半の写真をつなげることで、そのダイナミックさを表現した(1枚目の写真、矢印はショーン)〔この映画に関してスタントダブルを使ったという情報は見つからなかったので、こんな危険な場所を、2人は歩いて渡ったのだろうか?〕。パトリックは、ここから渓流と別れ、再び、ショートカットのために丘を登って行く。10歳のショーンは肉体的に限界に達し、「待って。お願い。つかれちゃった。休もうよ」と頼む(2枚目の写真)。
  

足を止めたパトリックは、ショーンに向かって、冷たい言葉を言い放つ。「なぜ、戻らん? 流れに付いて行くだけだ。前に言った時より、助かる可能性は高い」。「ぼ、ぼく、戻りたい。ママやパパのところに」。「ママは死んだ。パパも死んだ。辛いが、現実だ。俺の両親も死んだ。お前だって、いつか死ぬ。俺が、そのうち死ぬように」(1枚目の写真)「だが、それまでは、必死になって生きるろ! 分かったか? お前は一人でやれ。俺は、お前を助けるために、ここにいるんじゃない。お前は、邪魔なんだ。迷惑な弱虫のガキだ! お前の名前すら知らんのだぞ!」〔パトリックの一番ひどい台詞〕〔日本人の感想の中に「初老の男が少年に“サバイバル“の方法を教えていくさまが感動的」などと書かれているが、それは後半の一部。実際には、呆れるほどの冷酷さに腹が立つ〕。この言葉がショック療法になったのか、ショーンは自分の名前を思い出す。そして、パトリックに向かって、「ぼくは、ショーン・デイリーだ!」と叫ぶ(2枚目の写真)。それまでに、パトリックは、とっくに背を向けて どんどん先に歩いて行っていたが、この声に振り向くと、「俺の名前はパトリック・フォーリーだ」と言う(3枚目の写真)。2人は、丘を下り始める。
  
  
  

渓流の先に着いた2人。澄んだ流れの中で泳ぐ魚を見て、ショーンが、「ここに釣り竿があったら、食べてやるぞ。釣り針の1本でもあれば」と、魚に向かってブツブツ言っていると(1枚目の写真)、パトリックが寄って来て、こう批判する。「お前は、時間を無駄にして、泣き言を言うだけのガキじゃなく、つんぼで半分めくらだ。俺の言うことは聞こえてるが、水の音は聞こえるか? あっちの鳥はどうだ? 虫は? 風は? 木々が軋み、擦れ合う音は? お前には、そこのカエルも聞こえんし、岩に照り付ける太陽も見えん。自分の鼓動も、お前の後ろに来た俺も聞こえん。何て奴だ! ここで進行中の交響楽が聞こえんのか? 魚なんかと話すな。捕まえろ」(2枚目の写真)。この長々とした雑言は、決して “メンター” 的なものではない。ただの罵りで、何の教育にもなっていない。唯一、意味のあるのは、最後の魚の部分だけ。この、謗(そし)りに近い言葉を聞かされたショーンは、「あんたは意地悪だ! 最悪だ! パパは素敵だった」(3枚目の写真)「世界最高の漁師だった。もし、釣り竿がここにあったら、魚を吊って、あんたには何一つやらないから!」と、怒りをぶつける。
  
  
  

パトリックは、「俺は魚を捕まえる。だが、魚とは話さん」と言うと、石の多い場所に行きながら、「奴らがいるぞ。でかくて太った奴だ。冷たくて、太陽が当たらないところで、虫が流れてくるのを待ってる。だから、俺は、ゆっくり流れる流木のように動き…」。ここで、パトリックの手が、魚の後部に接近する。そして、ゆっくりと手を魚の頭部に近づけて行き、一気に掴み取る(1枚目の写真)〔この部分は、確かにメンター〕。それを見たショーンは大喜びするが、魚はパトリックが1人で食べる(2枚目の写真、矢印は骨しか残っていない)。ショーンは、残った骨と一緒に置いてあった白い物〔後で内容が分かり ゾッとする〕を一口食べると、あとは骨をしゃぶるしかない(3枚目の写真)〔最初に焚き火で会った時は、焼いた動物の一部をショーンに食べさせたのに、なぜこんな意地悪をするのか? たとえ、ショーンが「あんたには何一つやらないから」と言ったとしても、それを大人が実際に実行に移すのは、観ていて気持ちのいいものではない〕
  
  
  

そのあと、丘に登るために森の中に入って行った2人。ショーンは、小動物が木の実を食べていたとパトリックに報告する。パトリックは、その実〔小堅果〕まで手が届かないので、自分の肩の上にショーンを立たせて、渡した帽子に木の実を入れさせる。そして、木の枝と紐を使って小動物用の簡単な罠を仕掛ける(2枚目の写真)。2人は、近くの高台まで登って行くと、そこで日が暮れる。パトリックは、ここで、ショーンに対して初めてサバイバルの忠告をする。「ここで考えるべきことは一つだけ。生き続けることだ。ここでは、生き続けることを考えていない限り、死ぬしかない。ゆっくりとだが、確実に」。それだけ言うと、罠を仕掛けた方から音がしたので、ショーンに調べに行くよう指示する。「もう真っ暗だ。怖いよ」。「怖がることなど何もない。鼻と耳を使え。暗闇では目は必要ない」。これもメンター。それを聞いたショーンは、恐る恐る出かけて行き、戻って来ると、「ウサギだった」と言う。「なぜ、そう思うんだ?」。「ウサギは音を立てない。だから、ウサギだった」。「耳を使ったんだな。目は必要ない。それでいいんだ」〔この罠は、小動物が中に入ると、紐が首にかかり、そのまま宙に飛び上がって首吊り状態にしてしまう方式だと後で分かる。だから、「音がした」というのは、その時の音。だから、そこまでは問題がない。しかし、「音がした」後は もう死んでいるのいで、兎であろうと何であろうと音を立てるハズがない ⇒ だから、「ウサギは音を立てない。だから、ウサギだった」。「耳を使ったんだな。目は必要ない。それでいいんだ」というもっともらしいメンター的な話は、“如何にもそれらしく観客をダマす” ために挿入された会話だ〕。寝る前、最後に、パトリックは、「数日で、俺は 行こうとしている場所に着く。そこで俺を待ってるのは、暖かい温泉だ。そこには、何もかもある。あの峰のふもと。谷の終わった所に」と言う〔“weでなくI” を使っているので、2人で行く気はないのか?〕
  
  
  

翌朝。奇妙な映像が入る。1匹の兎が歩いてくると、昨日パトリックが作った罠は、①右上の写真の罠だった。ところが、朝、兎の前に現れた罠は、②右下の写真(矢印は近づいた兎)ように、横棒がある別形式の罠だ。この直後、兎は “木の門” の中にかろうじて見える細い紐の “輪” の中に首を突っ込み、宙を飛んで、一瞬のうちに首吊り状態で死ぬ。だから、昨夜音がして、ショーンが見に行ったのは①の罠だ。②は形が違うし、パトリックが2つ目を作ったシーンはないので、謎の存在だ。そして、朝、起きたショーンが、まばらな林の中を歩いていると、➁の罠にかかった兎がぶら下がっているのに気付き、じっと見て(1枚目の写真)、兎を回収する。次に、その兎を手に持って、昨日仕掛けた森の中の①の罠まで行き、ぶら下がって死んでいる兎を取ろうと手をかける(2枚目の写真)。すると、ショーンの手を、突然、アボリジニがつかみ、驚いたショーンは、2匹の兎を手に持って、「フォーリー!」と何度も叫びながらパトリックを探し回る。アボリジニが、ショーンを遮るように姿を見せるので、ショーンは怖くなって兎を1匹投げつける。ようやく、“1本の白く枯れた大木” の下で寝ていたパトリックの所まで逃げ帰ったショーンは、起き上がったパトリックに抱き着く。そして、「男が… ばけものが、僕の腕をつかんだ!」と、恐怖を語る。「落ち着け」。「ぼくのウサギ、取られちゃった!」。すると、2人の前方にアボリジニの男が現われ、兎を持った手を高く上げる。それに応えるように、パトリックも手を上げる。そして、ショーンに向かって、「お前は、白人が追い出した人々と食べ物を分け合った。誇りに思うがいい」と教える(3枚目の写真)〔私は、心底、このシーンに腹が立った。これでは、まるで、アボリジニが泥棒だ。彼らが、狩りでそんなことをするとは考えられない。朝のシーンで、兎が掛かった➁の罠はアボリジニが作ったものだと考える方が理にかなっている。ショーンが、アボリジニの兎と、パトリックの兎の両方を奪ったので、アボリジニがストップをかけたに違いない。それなら、なぜパトリックは、如何にも、自分の物を半分アボリジニと分け合うのが “誇り” だなどとショーンに教えるのか? 「お前が勝手にアボリジニの物を奪ったからだ」と叱るべきではないのか? この場面、人種差別的だと、製作者に強く抗議する〕
  
  
  

パトリックは それだけ言うと、起きたばかりなのに、それに、朝だというのに、また横になって寝てしまう。そして、おかしなことに、ショーンまで、パトリックのコートを掛けて眠ってしまう〔この映画には、“変なシーン、あり得ないシーン” が多過ぎる〕。どのくらい時間が経ったのか分からないが、ショーンが目を覚ますと、パトリックの姿はどこにもない〔荷物もない〕。“1本の白く枯れた大木” の下で、ショーンが、「フォーリー! どこにいるの!?」と叫ぶ声が響き渡る(1枚目の写真、矢印はショーン)〔何という意味不明の展開。ここまでショーンを連れて来て、なぜ急に見放すのか? これが “訓練” でないことは、その後のパトリックの言葉から明白なので、完全に見捨てたのだ。しかも、渓谷で見捨てるならまだしも(彼は。「渓流をひたすら下り続けると、線路に出るから…」と教えていた)、こんな山の中で見捨てるとは〕。ショーンは、なぜかパトリックが残していった棒(槍)と兎を手に持ち、「あいつ、ぼくを捨てたんだ。神様、あいつを罰して下さるよね? でも、ウサギはぼくのもんだ」と言いながら、出発する。次のシーンは、密林の中。蛇が近くにいるような環境で、ショーンは、「ウサギはぼくが持ってるぞ、パトリック・フォーリー!」と叫び、さらに、棒(槍)を掲げて、「これもだぞ! あんたのヤリだ!」と叫ぶ。次の言葉は、「あんたは、イヤな奴だ! 他にも、知りたいか?! あんたは臭う! 悪臭だ! 風呂に入れ! 温泉だ!」と叫びながら、森の中を歩き続ける。そして、声を落とすと、「知ってるかい? あんたの足跡が見えるぞ。このマヌケ。太陽を追ってるんだろ〔後でコメント〕。なんで、僕に腹を立てるんだ?」とブツブツ。この時のショーンは、岩が階段状になった渓流を渡っている(3枚目の写真、矢印)〔密林や岩の上で、どうやったら足跡が見えるのだろう?〕
  
  
  

それでも、不思議なことに〔不思議が多過ぎて、もう、うんざり〕、ショーンが、密林を抜けて、岩と雑草の斜面を登り始めると、遥か上にパトリックの姿が見える。ショーンが、「ちゃんと見えるぞ、フォーリー」と言うと、しばらくして、パトリックは 「自力で生きろ! 俺たちは、みんな一人きりなんだ! お前には前の人生が、俺には俺の人生がある!」と叫ぶ〔これを聞く限り、パトリックが、わざと足跡を残してショーンに後を追わせたとは、考えられない〕。しかし、この頃には、別の異変が起きていた。それは、ショーンが持っている兎の臭いを嗅ぎつけた野犬の群れが、兎=ショーンを追い始めたのだ(1枚目の写真、矢印はショーン、右端に2匹の野犬)。「あんたなんか嫌いだ! なんでぼくを追い払うんだ?」。パトリックは岩登りに集中しなければならなくなったので、答えない。一方のショーンは、その岩場の真下に着く。そして、槍のような棒を捨て〔重要〕、兎だけ持って岩を登り始める。振り返って下を見たパトリックは、野犬の群れがショーンに接近しているのに気付くと、人道上放っておけなくなったので、「分かった。俺と一緒に来たいのなら、急いで上がって来い! 後ろを見ろ!」と言う。初めて振り返ったショーンは、野犬の群れに気付き、登るスピードを上げる。そして、急斜面を一段上がったところで、追い付いた野犬が足に噛みつこうと飛びかかるが、犬の体よりもすべすべの岩の方が長いので届かない。それでも、怖いことに変わりはないので、「助けて、フォーリー!」と叫ぶ。「何も心配せんでいい。そのまま登って来い」。しかし、ショーンの先にあるのは、垂直に近い岩の壁(2枚目の写真、矢印は野犬)。「助けて!」。「自分で何とかしろ。俺には、そこまで戻る理由はない」。「ぼくだって、飛べないよ」。「せいぜい頑張るんだな!」。「できないよ!」。「なら、戻るがいい。俺には、お前なんかどうだっていいからな」。パトリックは崖の上に到達する。あとは高みの見物だ。「犬に殺されちゃう!」。「ああ、食っちまうだろうな」(3枚目の写真、矢印は兎)「そして、ウンチになったちっぽけなお前が、花を育てるんだ。だか、そんなことはどうだっていい。大事なのは兎だ。焚火を作っておくから、お前がここまで来たら、俺が料理してやる」〔本当に命を助けてやりたければ、「兎を捨てろ」と言えば済むこと/それほど兎に拘るのなら、なぜ兎を残してきたのだろう?〕。ショーンは、何とか岩場を登ろうと、兎を先に頭上の岩に置き、それから、岩の割れ目から生えた小木を掴んで体を引き上げる。そして、到達した先が、断崖の先端(4枚目の写真、矢印)〔ここでも、スタントダブルなし?〕。しかし、よく見れば、あとちょっと頑張れば、斜面は急に緩やかになっていく。そして、ショーンは、何とかその緩斜面に辿り着き、あとは楽に頂上に到達する。
  
  
  
  

2人は、1匹の兎を焼いて食べた後〔ショーンは、大きい方の塊をもらえる〕、草原状の斜面を登る(1枚目の写真、矢印)〔他のシーンは、一部だけの動作だが、このシーンでは、丘の下から上まで登り切るところを連続して映し続ける。ウィリアム・ホールデンにとって体力的にかなり大変だったに違いない〕。パトリックは、登り始めた時、苦しそうに咳き込み、ショーンが 「どうして いつも痛そうなの?」と訊くと、「若い頃、煙草を吸い過ぎたせいだ」と言う〔これと、服用するモルヒネが 肺癌だと推定する根拠〕。斜面を登りながら、ショーンは、「戻って、槍を取って来てきてあげたこと、嬉しくない?」と訊く〔パトリックは、棒(槍)を杖代わりに登っている/ショーンはわざわざ危険な断崖をもう一度降りて取ってきたのだろうか? そんなことはあり得ない〕。パトリックは、「なんでだ? お前が捨てたんじゃないか」と、ショーンの苦労に感謝しようともしない。「あんたを、どうやって見つけたか知りたいだろ? 太陽のことは ちゃんと覚えてる。足跡も見つけた。足跡残すなんてバカみたいだ」〔少し前のシーンでも、「太陽を追ってるんだろ」と言っている。これは、大いに問題の発言。以前、ショーンが茫然自失して 自分の名前も忘れていた頃、パトリックが枝を使って教えたのは、太陽の向きを使って “” を知る方法。こそ、ショーンが文明に出会える方角だったから。しかし、は、パトリックの向かっている方向ではない。パトリックは、自分が太陽を目指しているとは一言も言っていないし、しかも、太陽は、常に場所を変えるから、「太陽を追う(tracking the sun)」という表現は全くのナンセンス。そんな矛盾した情報を元に、なぜショーンがパトリックを追えたのか? あまりにもご都合主義的で興を削がれる。そもそも、パトリックが棒(槍)と兎を残してショーンを置き去りにしたこと自体が、何度も言うが不自然。そのような設定にしなければ、こんな破綻は起きなかった。理由は、恐らく、ショーンを野犬に追わせる場面を入れたいがためであろう。そのためには、2人を一時離さなくてはならず、しかも、ショーンがパトリックを追う必要がある。そこで、このような矛盾に満ちた嘘を捏造したに違いない〕。「年取ったせいだ」。斜面を登った上には、ヤシに似た背の低い植物が生えている。その近くで、パトリックは槍を構え、ウォンバットが穴から出て来たところを串刺しにしようとするが(2枚目の写真は、それを興味深く見ているショーン)、失敗したばかりか、急な負荷が胸にかかり、しばらく痛くてうつむいたまま動けない。場所が変わり〔ヤシに似た植物がどこにもないから〕、パトリックは、さっきウォンバットを捕獲とした理由をショーンに話す。「人間は、兎だけ食べていると死んじまう。脂肪が必要だ。だから、さっきウォンバットが欲しかったんだ。何が必要かは、体が教えてくれる」(3枚目の写真)「俺が魚を焼いた時、一緒に渡した白い物は何だと思う? 米か? どこで米なんか手に入る? あれは純粋な脂肪だった」。「どこで手に入れたの?」。「丸太の下。食用の虫〔ミミズなど〕だ」〔最初に、ショーンが、骨だけの魚を渡された時、一緒に付いていた白い物は、これだった〕
  
  
  

この映画は、脚本が総崩れしているのを別にすれば、俳優は危険な場所で頑張っている。1枚目の写真は、2つの巨岩の間に倒れた木の幹の上をパトリックが渡り、次いで、ショーン(矢印)が木の幹に乗った場面。足を滑らした時の対策はどうなっていたのだろうと、心配させられる。ショーンは、岩の上まで行ったところで、何かを拾い、パトリックが、カンガルーの糞だと教える。この辺りから、ようやく、パトリックがメンターらしくなる。「ぼくたち、今日中に着く?」。「明日だ」。「どうして?」。「俺の谷の向こう側では、絶対にやらないと誓ったことがある」〔彼がこれからすること(トリガー付きの罠の設置)を、「俺の谷の向こう側」でしたくないので、1日延ばしたと言いたいのだろうが… 疑問:「俺の谷」でやりたくないというのなら分かるが、ここは 「俺の谷の向こう側」でないなら、一体 どこなのだろう? 疑問:長年住んでいるわけでもないのに、20代初めにそんなことが誓えるのか?〕。次にパトリックがしたことは、わざわざ渓流まで下りていき〔ここに来るまでに、半日かけて登ってきたのに、また往復したのか??〕、魚を2匹捕まえてきて、それを鷲に見えるように、倒木の上に並べて置いたこと(2枚目の写真、矢印は魚、パトリックは鷲を見ている)。次に、パトリックはカンガルー用の罠を作りながら、「トリガーをセットするのはイヤなもんだ」とブツブツ(3枚目の写真、矢印は、近くで排尿していて “臭いが付く” と叱られたショーン)〔トリガーは、日本語では罠の作動装置として使われる言葉だが、英語の “trigger” は銃の引き金としての意味が一般的なので、分かりにくい表現〕
  
  
  

そのあと、2人はウォンバット狩りに失敗した “ヤシに似た背の低い植物” の近くで、じっと待機する(1枚目の写真)〔この写真を見ても、魚2匹を捕りに沢まで下りたことが信じられない〕。すると、かなり待たされてから、鷲が2匹の魚の所に舞い降りた映像が映る(2枚目の写真)。すると、獲物が罠にかかった音が聞こえ、2人は急いで罠まで駆け付ける。ショーンは、「やったね!」と喜ぶが、罠に掛かっていたのは、カンガルーではなくワラビー。それも、何故か、映像では一切映されず、パトリックの言葉だけ。彼は、大き過ぎなくて余ると良くないからと、逆に喜ぶ。次の場面で、ショーンは、「なぜ、魚をあそこに置いたの?」と尋ねる。「肉が欲しかったからだ。落とし罠〔上から丸太などが落ちてきて野獣を捕らえる罠〕のあることを、ワラビーに警告して欲しくなかった。魚は鷲への貢ぎ物さ。鷲とカンガルーは友達だから」(3枚目の写真、矢印はワラビーなのだが、何かの毛皮の塊のように見えて、体長50cmのワラビーのようには見えない)〔これも、メンターかもしれないが、ショーンにとっては意味のない教えだ〕
  
  
  

谷に下りて行くハズなのに、パトリックはまた登り始める。そこで、ショーンは、「この谷が目的地なら、どうして登って出ようするの?」と質問する。「谷の中の谷なんだ。入口を見つけるのは容易じゃない。地図にもない。昔 一度だけ、材木切り出し用の地図が作られた。作ったのは俺で、40年ほど前のことだ」(1枚目の写真)。「そこ、ぼくたちが行こうとしてたトコだよ(2枚目の写真、矢印は2人)〔ショーンの父は、この地図を手に入れて、その谷に行こうとしていた〕。2人は平原のような場所に出る(3枚目の写真、矢印は2人)。
  
  
  

いつしか、渓流が現われ、そこを石伝いに渡り、丘を登って下りると、目の前に谷あいの狭い平地が見えてくる(1枚目の写真、矢印は廃墟)。そして、その廃墟の部分が拡大される(2枚目の写真)。完全に朽ちて壊れてしまった住居跡だ。そのあと、2人が、さっき見ていた丘の上から斜面を下りてくるシーンが、廃墟の中からの映像で示される(3枚目の写真、矢印は2人)〔屋根は、一部の材木を除き、完全になくなっている〕。パトリックは、「俺がお前くらいの年の頃、親爺が原野からこれを創り出した。ここは、世界中のヒーローがやって来て、話し合うための場所だと思った」。「ただの、壊れた古い家みたいだ」。「今はな。昔はそうじゃなかった」。「だけど、人里から遠く離れてるね。学校は、どうしたの?」。「学校に行ったことはない。ここが学校だった。親爺は、俺に教えようとした… 大地からは、お前が返せるだけしか取るなと。俺は、ここでもっと学ぶこともできた。だが、俺はまだ 怒りに満ちた若者だった。理解できずに、去ってしまった」〔ここまでの話しを聞いていると、映画の冒頭にクリスチャンが言った「30-40年も経った」の言葉が、なるほどと思えてしまう〕。一段落し、ショーンは、「ぼくたち、いつまでここにいるの?」と訊くと、「しばらくだ」と答える。「何するの?」。「俺が持ち込んだ人工のガラクタを埋める。ここで生まれた物以外、ここにあってはならん」(4枚目の写真)〔ということは、パトリックは一旦ここを出て行き、戦後戻った時に、今座っているテーブルやイスを持ち込んだことになる〕
  
  
  
  

次のシーンでは、ショーンが渓流に行き、以前、パトリックがやっていたようにして魚を手づかみで捕まえる(1枚目の写真)〔パトリックの教えが唯一直接役に立つ場面〕。ショーンは、眠っているパトリックの近くのテーブルに刺してあったナイフをそっと抜き取ると、それを使って魚の腸を取る(2枚目の写真、矢印はナイフ)。そして、パトリックが近づくと、さっと振り向き、「自分のは自分で獲れ」と言う。しばらくすると、火を起こし、魚を焼き、一人で食べている姿が映る(3枚目の写真)。そのあと、パトリックが苦しみ出し、「お願い。あと少しだけ」と、神に延命を祈る場面が入る。
  
  
  

ショーンは、食べ残した魚を葉に包むと、温泉に入っているパトリックのところに持って行き、「お腹が空いてるんじゃないかと思って」と言って石の上に置くと、「聞いておきたいことがあるんだ」と言い、「結婚したことは?」と訊く。「一度、愛した。一度だけ」(1枚目の写真)。パトリックは、さらに、クリスチャンと “soldiers of fortune” になったと話す。この言葉には、冒険家、傭兵の2つの意味があり、これ以上の説明がないので訳しようがない。ただ、映画の冒頭、集落の男が、「戦争後は、ペルーでクリスと道路建設」と言っていたので、冒険家でも傭兵でもなく、世界で運試しをしていただけかも。パトリックは、自分の浅はかさで無駄に過ごした人生を嘆く。そのあと、ショーンがカンガルーと戯れる場面があり、心が癒される(2枚目の写真)。そして、温泉から出たパトリックに、ショーンが 「ぼくの服、臭い」と言ったことで、今度は、ショーンが温泉に入る。彼が、雛と遊んでいると、パトリックが寄って来て、「よく聞け。お前がここにいるのは、家族があまりにも早く亡くなったからだ。それに、時間がなかったから、俺には お前を連れ出せなかった。だから、明日この谷を離れる時、ここに来る時に通った岩山のてっぺんからよく見て欲しい」と、会って初めて、ちゃんとした大人のように話す。ここで、ショーンが、「ぼくを連れてってよ。道を教えて欲しい」と頼むと(3枚目の写真)、「お前には必要ない。ひたすら北に向かえ。お前になら できる。入り用な物は、俺が用意した袋に入れておいた」と、余命がゼロに近い大人としての責任を果たす。
  
  
  

温泉から出たショーンは、パトリックに連れられて小さな丘の上に作られた2つの墓の前に連れて来られる(1枚目の写真)。2つの墓のうち、蒲鉾型の墓には、「JAMES FOLEY/188■-196■(8?)/R.I.P.〔安らかに眠れ〕」と彫られている(右の写真、文字が読めるように加工)〔1960年代ということは、1980年の10数年前に埋葬されたことを意味する(1968年なら僅か12年前)。クリスチャンは、パトリックに会ってから、「30-40年も経った」と言っていた。次の節で、パトリックは、「(俺が)2人を ここに埋めた」と言っている。ということは、彼は、集落に寄らずに、渓流を遡り、ここまで来たことになる。しかし、なぜ? そのタイミングで? 父の死をパトリックに伝えた者などいない。そもそも、誰も居場所を知らないのだから。この映画の冒頭で与えられた、40年近く経って初めて故郷を訪れた無頼漢というイメージは、これで一気に崩れ去る(ひょっとして、内緒で定期的に会いに来ていたのか知れない)。監督は、墓碑の文字など誰も見ないと思ったのだろうか? それにしても、せめて「188■-1950」とでもできなかったのか? それならば、全体の枠組みは崩れずに済んだのに。何というずさんさ、何という無責任さ。怒りを通り越して、軽蔑の念しか残らない〕。ショーンは、パトリックの両親の墓を見て、「ぼくのママやパパ、どこにいっちゃったんだろう」と言い出す。パトリックは、「2人とも、お前の心の中にいる。死んでしまうのは、お前が忘れた時だけだ」と、ある意味、適切に慰めるが、ショーンは、「あんたが、ぼくを見捨てるなら、死んじゃうから!」と、先ほどの、言葉を思い出して、強く反駁する(2枚目の写真)。それに対し、パトリックは、「約束など何もしとらん! 一緒に来いと頼んだこともない! 勝手に付いて来ただけじゃないか。だから、当然 自力で去るべきだ」と突き放して、墓地を去る。ショーンは、その背中に向かって、「行きなくない! ぼくを行かせることなんかできない! お願い、追い出さないで!」と叫ぶ。パトリックは、振り返ると、「出て行くんだ!!」と怒鳴る。場面は、家の廃墟に変わり、パトリックが、イスにすわっていると、ショーンが後ろから近づき、「あんたが嫌いだ。大嫌いだ」と、泣き声で言う。パトリックは、「分かってる」と言って、手を差し出す。そして、その手をショーンが握ると、「ショーン、お前は両親を失った」と話しかける(3枚目の写真)。「そして、遠い昔、俺も両親を失った。そして2人を ここに埋めた。しかし、俺はいつも、“今日は明日のリハーサルのようなものだ〔today was some sort of a rehearsal for tomorrow〕” と思っていた。そんなことは絶対にするな」と言う〔これは、いい台詞ではない。“” の部分を現代形にし、簡略化した 「today is a rehearsal for tomorrow」 という表現が使われている2点の文章を読んでみたが、この言葉は、かなり肯定的な意味で使われていた(今日を踏まえ、明日はより良く、というような前向きのニュアンスで)。それを、否定的に使うとは、この脚本家は英語を知らないのではないかと疑ってしまう〕。ショーンは、「ぼく、怖いよ」と、正直に言う。「怖い? 怖いのは冷たい風だけだ。間抜け面してボサッと立ってれば凍え死ぬからな」。この、ピンと来ない言葉を聞いたショーンは、なぜか、「大好きだよ」とパトリックに抱き着く(4枚目の写真)〔脚本家は、もう少し、まともな台詞を思いつけないのだろうか?〕
  
  
  
  

恐らく、パトリックは、抱擁の直後くらいに死に、翌日、ショーンは2つの墓の隣に死体を運んで行き〔10歳の子が、あんな大きな体をどうやって? ここには台車もない〕、横の墓のやり方を真似て、死体を石で覆う(1枚目の写真)〔石を集めてくるだけでも大変。ショーンは、如何にも重そうに石を載せている。どうやって全部運んだのだろう?〕。ショーンは、墓が完成すると、悪霊を遠ざけてくれる袋を取り出し、それを中央の凹の中に置くと(2枚目の写真)、「悪霊から守ってくれるよ」と声をかけ(3枚目の写真)、大きくて平らな石を、やっとの思いで持ち上げると、その上にドスンと置き〔それほど重い〕、袋を完全に覆う。そして、最後に、パトリックの槍を墓の真上に置く。
  
  
  

それが終わると、パトリックが用意してくれたバッグを肩に掛ける(1枚目の写真、矢印は槍)。そして、カンガルーとも別れを告げ(2枚目の写真)、「来る時に通った岩山」を通り(3枚目の写真)、北に向かって歩いて行く〔手に持っている棒は、パトリックの真似?〕
  
  
  

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